19ears

努力病

いつからか、いやずっとか?努力をしなくてはいけない病にやられていると思う。その原因は、断捨離癖がついていて、その癖が時間という目に見えないものにまで及んでいて、生産性のない無駄な時間を省きたいからかもしれないし、生まれ育った場所が教育熱心な地域で、昔から向上心が妙に強いからかもしれないし、今までの人生の成功体験の大半は努力から来るもので、それに自信があって、常に努力さえすれば、と思っているからかもしれないし、周囲から努力の結果を認められることが自分の価値だ、楽しみだと強迫観念的に思い込んでいるからかもしれない。いや、多分全部だと思う。

いつも努力が出来る自分でありたいと思っていたし、今もそれは思うけど、その努力ができる環境を時間をかけて整えて、実際に努力をしているのに、同時に時々疲れることがある。努力だけが自分の全てなのだろうか。努力が出来ない自分でも、それでも気楽に楽しく付き合える人と一緒にいれば良くないか?努力をした結果成功するなんて、そんな経験積み重ねなきゃ良かったのか?とか。反動でか知らないが、日常の些細なことを楽しめる人に魅力を感じさえする。目指さねばならない目標という合理性と、無駄に対する愛おしさという非合理性を、いつも両手に抱えているような気持ち。いやでもね、努力をしている人はとても素敵だし、努力を超えた先の楽しいことは沢山あるし、頑張ってよかったと思えることばかりではあるし。という無限ループ。

そんな気持ちを旦那さんに相談したら、地味に琴線に触れた言葉。「出来ない自分を許しなよ。何でも時間さえあれば、努力さえすれば手に入るなんてことは、ないんだよ。」というフレーズ。ある意味諦めのようにも取れるけど、先の目標ばっかり見てないで、今目の前にある身の丈に合った幸せに気づけよ、と言われた気がした。知らず知らずのうちに心のどこかで、完璧かつ理想的な自分をずっとずっと追いかけていたなあと。私が旦那さんを好きになった理由の一つに、身の程を知っていて謙虚である、ということがある。自分はそんな大層な人じゃないから、少しのことで自分で自分を褒められる、認めてあげられる、という自己肯定感強めのスタンスに、実は結構惹かれている。放っておくと自分で自分のハードルをどんどんあげてしまう私みたいな努力病患者には、本当に苦手なこと。

同時に過去の、自分が最大限努力をしてなかったから起きた失敗とか、ステータスにこだわったり、人を見下しがちな知人を通して、鏡みたいに自分自身の山みたいに高いプライドを思い知らされたりとか、その辺を上手に割り切った方がいいなと感じた。そこにしがみついて、自分の中で昔のことをああでもないこうでもないとこねくり回して、一体何になるのだろう。自分の幸せは自分で決めるってこういうことか、と旦那さんを見ているとつくづく思う。誰かが言っていた、楽に生きるコツは馬鹿になることって台詞まで、ついでに思い出す。周りにいる人を変えるのも一つの手段だけど、きっと自分の捉え方を変えない限り、無限ループは続く。

まあでも長年染みついた癖なので、なんだかんだ努力はし続けるんだけど。甘いものでも食べて、自分をたまには褒めて、嫌なことは水に流してみようかなと思い至った。